生きていると色々な人に会いますね。
仏のように優しい人がいれば、人をけなして怒ってばかりの人もいます。知らず知らずにあなたもそうなっていませんか?
そういった人は何と戦っているんでしょうね?
今回はそんなお話。
こんな人いませんか?
- 通勤時間帯に電車が遅れて、駅員を怒鳴りつけている人
- 口を開けば誰かの噂や愚痴ばかりの人
- 何かミスをすると罵詈雑言の嵐で怒鳴り散らす
等々。
何が言いたいかというと、常にイライラして何かに対して怒ったりネガティブなことを言ったりしている人をたくさん見かけます。
おそらくこういう人たちは私の周りだけではなく、他の色々なところでも見ることでしょう。
もしかしたら本人がこれらに該当するかもしれません。
こういった人たちは一体なぜそんなに怒っているのでしょうか?また、何に対してそんなに怒る必要があるのでしょうか?
何でそんなに怒ってるの?
何か問題が起こるとものすごい剣幕で怒っている人ってたくさんいますよね?
この人たちはなぜこんなに怒っているのでしょうか?
推測でしかありませんが、おそらくこの人達はその起きてしまった問題を解決したくて怒っているのだと思います。
しかしそれは本当にその問題を解決するのに適した手段ですか?
ストレスがたまってしまい、怒りをコントロールできずに、当たりやすい相手に怒りをぶつけてストレスの発散をしようとしているだけではありませんか?
怒ることで本当に伝えたいことは相手に伝わっていますか?
あなたは一体何と戦っているんですか?
適した手段で解決する
おそらく皆さんがしたいのは目の前で起きてしまった、もしくは、発覚した問題を解決することですよね?
ではもう一度問います。
怒りという手段はその目の前の問題を解決するために適した手段ですか?
もちろん怒りというのは問題を解決するために適しているときもあります。
例えば子供が道路に飛び出ようとしているときですね。怒りによって萎縮させ行動を制限することで、飛び出すことを未然に防げます。
もう一つは、誰かを守るためですね。重大なミスを犯したときに上司が取引先の前で怒ることで、取引先から「まあまあ反省してるし許してやってよ」といったような許しを得るためでしょう。
それら以外ではおそらく怒りが問題を解決する手段にはなり得ないでしょう。
問題を報告してきた部下を怒鳴り散らせばその問題は消えますか?
仕事ができないことに対して嫌みを言ったり怒れば仕事ができるようになるんですか?
怒りというのは手段ですからコントロール可能ですよ。母親が今の今まで怒っていたのに、電話に出たとたん優しい声に変わったというのを見たことありませんか?
何と戦っているのか
実行するべきは目の前にある問題を解決することですよね?
そのためには適した手段や道具を用いるべきです。
計算をするためにテレビのリモコンを使う人はいませんよね?問題を解決するために怒りが適していないのに怒りを用いるというのはそれくらい変なことです。
ではどうすれば手段を明確にできるのか?
まずは何と戦っているのかを明確にしましょう。問題が何であるかということですね。
そうすれば自ずと手段は限られてくるはずです。
謝れば解決できるのか?もう一度やり直すべきなのか?
電車が遅れているなら、駅からの別の手段を使うとかもできますよね?
タクシー使うとかバス使うとか走って行くとか。
目の前の問題を解決しようとせずに、愚痴ってばかりだったり怒ってばかりだったり、そういうことをするというのは目の前の問題から逃げているのと同じですよ。
たまになら愚痴ったりしてストレス発散するのもいいと思いますが、信頼できる仲のいい人だけにしておきましょうね。
ポイント
- それ本当に怒る必要あるんですか?
- 問題を解決するために適した手段を用いましょう
- まずは何が問題なのか明確にすることですね
- もし愚痴るなら信頼できる仲のいい人だけにしてくださいね
できれば愚痴る以外のストレス発散方法があるといいですね。
私はいつでもうつ病を治そうとしているあなたの味方です。
ではまた!